幸由丸から電話。「明日、女島行くぞ〜」と。
「あ〜そ〜ですか〜」と。
そんなわけで、朝っぱら3時半から男女へ。
まあ、市内ですからね。すぐそこですよ。40マイルですか・・・。
遠いな。
それでもまあ、6時には男島到着。鏡のような海でしたから。
船長はいいとこたくさん知ってるので安心です。
カンパティ〜がポロポロ釣れましたです。
ネリゴにしちゃあいいんじゃないでしょうか?クラスです。
わたくしはソレを4本、ヤイトを1尾のみ。
ヒラスは船中1本のみで、このお兄ちゃんが釣ってしまいました。(オレのなのに)
でもまあ、この景観がレアですし・・・。「よし!」としよう!
またいい時に行くぜ!男女群島!
灯台及び女島の歴史
女島は、遣唐使(南路)を派遣した時代では大陸と日本列島との間にある一つの島として目標とされていたことからもわかるように航海の要所だった。そんな、女島は見上げるような断崖が続き、一年を通して海上は平穏ではなく近づきがたく上陸もしにくい島であり、この灯台を建設するのは非常に骨が折れたという。1925年(大正14年)6月2日に着工した工事は、1927年(昭和2年)7月8日に完工を見て、同年12月1日に初点灯した。ところは女島の南端、屏風ヶ浦の100mあまりの断崖の上である。工事は、船着場・道路の整備から始まり、資材の運搬と、ここではすべてが人力であった。工費は、当時の額で約15万円で大瀬崎灯台の工事と比べても、よりハードだったのがうかがえる。1927年(昭和2年)12月に、日本の灯台における最初の公衆電報取扱の電信局がおかれ、1941年(昭和16年)10月1日には、無線方位信号所が設置され、さらには1956年(昭和31年)6月1日には船舶気象通報業務を加えて、ここの重要度はアップした。電信局と無線方位信号所の業務は廃されたが、今でもここで観測される気象データは、気象庁に送られ活用されている。 2006年11月11日までは全国で最後の、灯台守と呼ばれる職員が勤務する灯台であったが,翌11月12日より完全自動化され無人の灯台となった。『ウィキペディア(Wikipedia)』
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